【雑記】文章について
どんなに内容が正しくて為になることを書いたとしても、
その要因のみによって多くの人に読まれるものになるとは限らないのは、様々な事例を見て理解できます。
人々が読みたい!共有したい!と思う文章は内容の良し悪しの前に読みやすさが前提条件として存在します。
視覚的な見づらさに関していえば、それは書き手の不徳の致すところです。
ただ、内容の密度に関しては匙加減というのが本当に難しい。
網羅性と明瞭性はトレード関係にあると言われます。
例えばここで電車というものについて説明してみます。
網羅的に情報を伝えるのであれば
電車とは電力を主要力として運動する鉄道車両の内、乗客や貨物を乗せうる設備を保持し一定区間をダイヤグラムという運行表に従って行き来するものである...
これでもまだ外見や歴史の説明ができてないので不十分なのですが...
こんな厄介な文章は誰も読みたがりません。
明瞭性に重きを置くとしたら
電車は乗り物。
切符を買うことで乗ることができ、都市での中距離間の移動に適している。
と簡潔に述べることができます。
さらにエンタメ色を強めるとしたら...
電車は、動く牢屋!
通勤通学時に人がいやいや乗っていく様はまさにドナ・ドナ・ドーナ
文才なくてごめんなさい。
上の文が面白いと感じるかどうかは人それぞれですが、最下段のように情報を限りなーく薄めてしまったほうが読みやすくそしてなおかつ面白い。
ただその反動で情報は全くない。
読み手として、自分は楽しむために文章を読むのか、学ぶために文章を読むのか考えなければ、無駄な時間を過ごしてしまうと感じました。