ちくわーるど

Hearthstoneについて…動画の裏側

課金論争

Hearth stone を含むデジタルカードゲームをやっている中で避けては通れないのが欲しいカードが手に入らないということ。

要らないカードをダストにすれば、ある程度はデッキを組めるので始めのうちは困らないのです。しかし、色々なデッキを使いたい!だとか、ゴールデンカードで戦いたいとかいう欲に誘われると、ある程度の課金は避けては通れないでしょう。僕もその1人です

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⬆騎士団環境コンパラが流行ると思いゴールデンレジェを揃えた図

さて、本題に入ります。今日考えたいのは課金することについてです

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↑この記事で伝えたいこと

まれにこのような言葉を見かけることがあります。

「ゲームに課金なんてありえない!」
「データなんて形が残らないものより、美味しいものを食べたりモノを買って生活を豊かにするべきじゃない?」


たしかに私も以前はそう思うこともあったのですが、これが的外れな見解であるということが色々な人の考えを学ぶ過程で解ってきました。

趣味なんだからお金の使い方を他人にとやかく言うな!と言ってしまえば簡単ですし、正論ではあります。

しかし、その一言を放つことは正しい回答ではないと思います。

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価値観の違う相手に価値観を認めろ!という主張は、なにも解決できません。認めてもらうには考えを理論だてて説明するのが正解だと思います。

それでは、2つの立場の方に対して課金することがなぜ批判されるべきではないのか、課金の妥当性について考えてみたいと思います。

無課金プレイヤーの方への反論

デジタルゲームは基本的に内部通貨が存在し、ゲームをプレイすることによってプレイヤーは内部通貨を獲得します。

そして集めた内部通貨を利用してゲームを有利に進めるためのアイテムを獲得したり機能を拡張させることができます。

内部通貨を獲得するという行為にはゲームによって様々ですが時間・労力のどちらか(あるいは両方)を必要とします。

そこで課金をすると時間・労力を必要することなくアイテムや追加機能を得られます。

そういった側面から見れば課金するということは、内部通貨を獲得するための対価を現金で支払うということにほかなりません。

時々、無課金プレイヤーの中には無課金であることを誇り、課金することに対して否定的にとらえている方がいます。しかし、先に説明したように無課金であることで必要とされる時間・労力をお金で解決できるとするならば次のようなことが起こり得ると思います。

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1時間ゲームをプレイすると900円分のアイテムが手に入れられます。その一方でアルバイトをすることで1時間のうちに1000円手に入れられます。

このように、同一時間を費やし手に入れることのできる価値が労働のほうが高ければ効率の良いほうを選択するのは妥当性があるといえるでしょう。

もちろん、労働ができないという中学生以下の方や、私は労働における体力消費や精神的苦痛が嫌だからゲームでしているんだという方にはそれはそうですかとしか言えません。

しかし私個人としては、ゲームないでコツコツ稼ぐよりも、労働のほうが十分なお金を手に入れられます(お釣りも発生します)し、制限のある環境でゲームをプレイするよりも、お金をつかって快適にプレイしたほうが効率的だと考えております。

効率が良いという点で反論できているのではないでしょうか。


ゲームをプレイされない方への反論

先の反論では、無課金者に対してでしか有効ではないです。
ゲームをプレイされない方に対しての反論はできていません。

ではゲームをプレイされてない方はどのような点を問題視しているのでしょうか。
ゲームをプレイされない方は次のように考えて発言していると思います。

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これに関しては、まず形に残るものにお金や時間を使うほうが意義があるという点。

確かに、服や家具などの形に残るモノを買うことで生活の質は向上させるという価値を生み出してます。
では、形に残らないモノは何も生み出してないのでしょうか。

ゲームは人とのコミュニティを作り出すことができると思います。
Hearthstoneにおける炉辺の集いなど、オンオフ様々な形でつながりができます。

これは財産といえるのではないでしょうか。

また仮にゲームがなにも財産を生み出さないとします。

残らないモノにお金を使うことを否定することになります。
ということは、つまり映画やドラマなど趣味全般を否定していることと同義ではないでしょうか。

趣味やゲームはそもそも人生の余暇を利用して楽しむのが目的です。
余暇を利用してリラックスしたり、ストレス発散するのです。

そうであるならば楽しむためにお金を使うこと自体になにも問題はないでしょう。

にもかかわらずゲームのみ否定することは極めて論理性に欠けます。

まとめ

ここまで課金について長々と語りましたが、妥当性について説明しただけで、この意見をもって「無課金者は頭が悪い!」というように攻撃できるものではありません。

また、適切な課金であることが前提です。
中には生活費を切り崩して給料をつぎ込んだり、親のクレジットカードを引き抜いて課金される学生の方もいるそうです。

そこは擁護しようがないでしょう。

余暇を楽しむという目的でもってゲームをプレイされる方が大半ですから、自分の中でどうゲームと付き合っていくのか常に考えておくことが大切だと思います。


みなさんは課金についてどうお考えでしょうか。