【雑記】忙しいについて
今日は忙しいについて考えます。
私の好きなブログを引用します。
自分を「忙しく」していたのは自分自身でした。
自分で自分を「忙しく」しているのにも拘らず自分で「忙しい」という…
このフレーズ好きです。
「忙しい」の根本的な原因は自分の能力を過度に超える業務(?)の抱え込みだと考えてます。
業務としてしまうのは少し大げさすぎるのでタスクと言い換えるべきですかね。
そして、結局「忙しく」なるまでタスクをため込むのは他でもない自分だと、書いています。
確かにそうだと思います。
人間誰しも自分に仕事を与えて生きています。これは他の動物にはできないことです。
そもそも高度分業型社会が成熟した現在。
人間は何もしなくても生きていけます。
生活保障を悪用すれば、必要最低限の生活は得られます。
にも拘わらず、多くの人々は世間一般でいう全うな暮らしを目指しています。
それはなぜか、自己承認欲求のため?社会的責任を果たすため?
理由はどうあれ人間は自分の理想状態に向かって自らにタスクを課し、律している。
「忙しく」するのはとても素晴らしいことだと思います。
しかし、常に方向を見失ってないか軌道修正しなければなりません。
「忙しさ」にとらわれどこに向かっているのかわからなくなってしまっては目的地には辿り着けません。
私は「忙しい」を理由にする人が嫌いです。自分も時折そうしてしまうので反省しなければならないですが…
「忙しい」を理由に断るのは、目の前の事象に対して、自分に課すべきことなのかしっかり判断できてないからです。
自分のためとあれば、それをいつ達成するのか予定を立てる。
不必要であれば、すぐさま切り捨てて次の判断に移る。
「忙しい」といって、そのまま放置して時間が過ぎるのを待っています。これでは何も進みません。
「忙しさ」をコントロールしなければならないのです。
ちょっと抽象的過ぎました。伝えたいことを伝えられてるか不明です。
「忙しさ」の概念を今一度考えなおすことが必要ですね。